ここはイラストレーター槻城ゆう子のブログです。
お仕事情報や日々思うことを、気まぐれに書いていきたいと思います。+++2007.1.1 start+++
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■創作と原田病■
自分はあまり、ネガティブな思考をしない方だと思いますが、あまりにレアな免疫疾患を発病して流石に堪えました。少し感覚的な内容かもしれませんが、作家廃業を考えた人間の心持ちを書き置き致します。

体調の悪さが作品の出来に影響がないように、ずっと気をつけておりました。描きたいものを描くために、区の検診などを利用して健康管理をしていました。ところが、自覚なく、検診にも現れない、予見しようもない病に自分がかかってしまった。気付いた時には、創作に不具合な目の不調となって現れました。よりによって目に!

酷い霞み目となって現れた、全身性免疫疾患「原田病」。2014年9月末に発病して、すぐに免疫抑制治療を開始したものの、視神経の炎症や検査用散瞳剤ミドリンP点眼薬による視野のぼやけで、執筆活動が著しく困難になりました。視力は、これを記している現在も両眼とも裸眼で1.2ありますが、病と薬によってぼやけた視界は、メガネを掛けたとしても補正できず、自然と回復するのを待つしかありません。

治療初期時は、一日中、小説の文字や細かい物がぼやけて殆ど見えませんでした。ようやく薬が切れて視野が戻ってきても、視神経の炎症のせいか、面相筆の筆先やペン先が二重に見えて、ペン先と原稿用紙の距離がつかめない状態でした。一時期は、点眼で使いものにならない右目を左手で塞いで、左目だけで作画していました。片目だと空間認識が狭まり距離感がつかめないのですが、筆先での狙いがつけやすくなるからです。しかし、左目だけの作画は過剰に左目の負担になって酷く疲れるし、絵の全体を把握できないままでの作画でしかなく、結局は満足行く絵にはなりませんでした。

あと、治療薬の影響で頭が朦朧としてスケジュール管理と作業工程の段取りができなくなり、臥せって消費した日数を確認中に〆切に間に合わない発注に気がついて、一旦お引き受けしたお仕事を、お断りしたのも初めてでした。この時のイラストの担当さんには、連絡が遅れてご迷惑をお掛けしてしまい申し訳なかったです。

とにかく、大量のステロイドによって思考力を落としている状態でしたので、漫画の芯になるお話(ネーム)を作ることは本当に悪戦苦闘致しました。言葉を紡ぎ、伏線を張り心情や場面を動かし、登場人物に望む自分の気持ちのありようを回収する…。本来なら休載するべきだったのかもしれません。でも、どうしても描きたい作品だったので、担当さんに事情を話し、言葉選びなどを手伝って頂き完成させました。以前なら、一語一句、自分で管理していたのに情けない話です。根気よく付き合ってくださった担当さんには感謝の言葉もございません。

漫画は人物が動きます。行動の様子も有りますが、表情で心情を描くことで物語を表現します。これも非常に困難でした。なんといっても自分自身の目に力が入らない。物を見る時のくっとした気が目に入らないのです。例えるなら、どこか遠くを見ているような感覚です。漫画家は、人物の表情を描いている時に同じ表情をしているといいます。つまり作者の目に力が入らないということは、キャラクターが作中で見せる、対象との距離感があやふやになってしまい、意志の強さや思いの強さが出せないのです。

本当に泣きました、絶望しました。思うように描けないということは、とてつもない喪失感でした。
ここで描くことを辞めなかったのは執念以外ありません。
作品に没頭している間は、何もかも忘れられるからです。

恥を忍んでお話致しますと、連載作品「通りすがりの怪事件」を掲載順に読んで頂くと分かりますが、発病直後に描いた第二話に比べ、約一年後に描いた第六話の登場人物は眼力が強くなっていると思います。併せて輪郭線の勢いも戻りつつあるのが見て取れるかと思います。手ずからの表現が戻ると共に、病気も改善してきました。作品内容もあって、祈るような気持ちを持って休載すること無く描き続けたおかげで、喪失感からも脱することが出来ました。自分では筆を折ることも考えたほど深刻な状況下での制作でしたが、読者様の「和んだ」とのお声に、気持ちが届いたと感じとても救われました。掲載してくださったホーム社新耳袋アトモス様にはコミックス化も予定して頂き、誠に有難い次第です。諦めないで良かった、本当にそう思います。

今回の試練は、今まで生きてきて足りなかった経験を一気にしたのだと、これは今暫く作家としてあがく糧を貰ったのだと、ゆるり前向きに考えられるようにはなりました。幸い周囲の皆様方から、さりげなく気遣いや応援を頂いてます。それは、なんて心強いことでしょう。本当に有難うございます。

完治までもう暫く…再発の可能性もなくはないけれど、優しくしてくださった皆様のことを思い出し、病に向き合っていきたいと思います。皆様に、心からの感謝を。まだ描きたいものがたくさんあります。
| 16:50 | 原田病 | - | - |
■治療生活突入〜脱ステロイドまで■
9月25日。自宅にて免疫抑制治療開始。1日の投薬は、プレドニゾロン(ステロイド)40mg…朝6錠夕2錠、ステロイドの為の胃薬ガスターD20mg×2錠とセルベックス50mg×3錠。点眼薬ベガモックス(抗菌薬)、リンデロン(炎症剤ステロイド)、ミドリンP(検査用散瞳点眼剤)をほぼ4回づつ。

「原田病」は、治療初期のステロイド大量投与で炎症を止めるとのことで、自宅療養を選択した私の体で服用可能量の上限40mgからスタート。
免疫を抑制し感染症に弱くなるので、使い捨てマスクと緑茶と除菌ティッシュを常備する。

翌日。サプリも飲まない人間だからか、プレドニゾロンがガッツリ効いたのか、体が重くてベッドから起き上がれない。肘をついて、そこから動けない、ずっしりした自分の体に驚く。点眼薬ミドリンPのせいで、一日中視野がぼやけて本もモニターの文字も読めず。ほぼベッドの住人。

9月29日。投薬開始以降、意識朦朧、判断力低下、ふらつき、酷い倦怠感、右足の付け根が痛い等々で通院。全てステロイドの副作用だそうで、投薬前は健康体といえる状態だっただけに、投薬治療の恐ろしさを思い知る。またしても結膜下注射(水晶体と虹彩の一部癒着は今後も改善されず)。

10月6日。相変わらず、薬の副作用にさいなまれ続けていたものの、視力、眼圧、OCT検査、網膜撮影などの検査…これらは受診の度に毎回…の結果、異常は特になし。

少し日常をやって疲れてはベッドに倒れ込む日々。

10月9日頃。右足付け根が歩行困難な程痛くて受診。ステロイドの副作用で股関節の骨を溶かすことがあるので、念のため整形外科の予約。右目のしつこい霞みは視神経の腫れとミドリンPの影響との事。全身が作り変えられるような筋肉痛めいた痛みあり。筋力共々握力も落ちたらしく、とにかく物をよく落とす。体力思考能力記憶力等の低下。意識はあるがずっと微熱が続いているみたいな感覚で、これまでやっていた日常の段取りが困難になる。自分でも驚いたのは単純計算が出来なくなったこと。計算法はわかっているのに二桁の足し算が暗算できないのは、かなりの衝撃でした。

意識朦朧が続くため、なるべくメモを取るようにした。点眼回数のチェック用紙を作る。経口薬は一日分をケースに入れ、空を別ケースに入れて飲み忘れに注意する。投薬時間がランダムなのでIphoneのリマインダー機能をセット。Iphoneは視覚障害者向けに、音声入力と読み上げ機能があるので、メールなどで活用するようになる。

あまりにも体や頭が思い通りにならないうえ、免疫抑制による感染症の脅威もあって外出が怖くなる。おまけにステロイドの副作用はメンタルにも作用し、欝っぽい(躁鬱っぽい?)思考になり易いらしく、ただでさえグダグダで酷い体調に落ち込みもすると自分でも思うが、わかっていても凹むのが止められず、仲の良い友人知人と電話やお茶して気を紛らわさせてもらったりしていました。相手してくれた方々には本当に感謝。

10月10日頃。投薬治療で、予想以上に体が動かず頭は朦朧という状態の中、なんとかスケジュールと段取りを確認。そして仕事で初めて、受注後にキャンセルするという黒星を付けてしまいました。関係各位には大変申し訳なかったです。まさか治療で動けなくなるとは思いもよらずでした…。

相変わらず全身痛いしダルイし頭も朦朧としていましたが、どうにか文字が読めるタイミングが得られるようになってきたので、少しづつ「原田病」の事を調べはじめる。医師も説明はしてくれるけど、なにせ朦朧としているので理解が追いつかない。診察時に聞くべきことや良くも悪くも可能性を質問するためにも、自分なりに調べておきたかった。調べるにつれ、結構な難病なんじゃないかと思うようになる。

10月16日。骨塩(密度)検査とレントゲンと血液検査。ステロイドが骨を溶かす副作用を持っているので、今の内に比較対照として検査結果を保存する目的もある。右足付け根は相変わらず歩行困難になるほど痛い。ちょっと外出するだけで息切れがして情けなく思う。血液検査は異常なし。リンデロン×3、ミドリンP×右3+左1。

10月17日。プレドニゾロン35mgへ。ステロイドの副作用で骨が弱くなるのを予防するため、新たに、骨粗しょう症予防薬フォサマック35mgを追加、週一回、起き抜けにコップ一杯の水とともに服用しその後は30分間横になったり食事はできない。このフォサマック自体、顎骨壊死などの副作用を持つ。もはや治療薬の副作用の方に脅威に感じる。

原田病が難病指定への希望が多い20万人に一人が発症する珍しい病と知る。とんでもないクジを引き当ててしまったことに愕然とする。
免疫抑制治療中の感染症予防で、ナマ物…生肉刺身、果物や、避けた方が良い物を確認。作り置きの料理なども止めたほうが良いらしい。不用意な外食が怖くなり、自宅でも加熱した食事をする。

10月27日。二日程右目が腫れたので受診。目に少し点眼のステロイドが溜まりやすいらしく、蒸しタオルなどで温める対処法を教わる。

11月6日。骨塩検査結果は低め正常値内。この頃はたまに耳鳴りを自覚。霞み目はだいぶ和らぐ。あいかわらず全身が痛いが、ステロイドは骨は溶かすわ筋肉は溶かすわで筋力なくなりすぎても怖いので、医師に体力作りの相談をするも、激しい運動は禁止でストレッチや散歩程度を勧められる。

何故か食べる物全てがしょっぱく感じる。

11月7日。プレドニゾロン30mgへ。リンデロン×2、ミドリンP×右3+1左。ミドリンPのせいで右目は1日殆ど視野がボケている。視野が使えないというのは、なんて不便で不安なことかと思う。

投薬治療の、漫画作業への著しい影響に泣く。点眼による視野のボケ感、視界を取り戻してからの1日の作業時間の短さ、右目を塞いで左目だけでの作画の困難さ。朦朧として段取りがとれない頭でネームを作り、〆切日に原稿をお渡しできたのは奇跡のようなもの。担当さんにはたくさんご心配をお掛けしてしまいました、フォロー有難うございました。

12月1日。視神経の炎症もだいぶ治まってきたのか、霞み目もかなり改善。医師から右目は勿論、左目の網膜炎症も酷かった事を聞き恐怖する。治療が遅いと視力低下、網膜剥離で失明にもなりかねなかったのです。

12月8日。プレドニゾロン25mgへ。少しでも早い脱ステロイドと再発予防のため、免疫抑制剤ネオーラル100mgを併用…朝夕の食前に1錠ずつ。プレドニゾロンは炎症と免疫活動を抑えますが、ネオーラルは免疫の活動を抑える薬。更に感染症に弱くなるとの事。ネオーラルを服用中はグレープフルーツと幾つかの柑橘果物は、薬の血中濃度を上げてしまうとのことで禁止。うっかり口にしたら怖いので、柑橘系は全部禁忌食材扱いにする。
血液検査は問題なし。画像で「原田病」の証拠”夕焼け状眼底”を見せてもらう、自分の。モニターに映しだされた眼の奥画像が赤いのは、メラニン色素が抜けた跡だからと説明される。表からは見えないし、視力等には影響は無いらしいが、身体的ダメージはショックではある。いちおう晩期・回復期に見られる症状とのことで改善してはいるということらしい。投薬総ステロイド量を少しでも減らすため、点眼薬リンデロンの点眼回数を減らし、リンデロンの十分の一のステロイドを含むフルメトロンを併用。リンデロン×1、フルメトロン×2、ミドリンP×右2+左1。ミドリンPが朝と寝る前だけになったので、日中の視野がマシな時間が増える。

12月24日。目の充血、ゴロゴロ感、つっぱり感、胃の鈍痛他で受診。胸焼けはネオーラルの副作用。ネオーラルもまた副作用の塊。

この頃は頻繁にこむら返りしそうになり、ミネラル補給にミロとゴマを食べるようにする。たまに右耳から水が入った時のようにボワッという音。

2015年1月5日。プレドニゾロン20mg。ネオーラル75mg…血液検査で腎臓の数値が高くなったため減薬。腎臓のためルイボスティーを1日1リットル消費することにする。ルイボスティーはミネラルもあるらしい。リンデロン終了、フルメトロン×3、ミドリンP×右2+左1。

2月3日。プレドニゾロン17mg。高眼圧のためエイゾプト懸濁性点眼液1%を、左目に1日2回。

3月2日。プレドニゾロン15mg。ステロイドにより一時的に髪が大量に抜ける。あと肌が乾燥したように荒れ、ヴァセリンを大量に塗って回復。

4月27日。プレドニゾロン10mg。フルメトロン×2、ミドリンP×右2+左1。エイゾプト終了。ただ右目が病気とステロイドの結膜下注射で軽い白内障を発症。いずれ簡単な日帰り手術をすることになりそうとのこと。

5月25日。プレドニゾロン7mg。胃腸薬セルベックスを辞める。腎臓値正常へ。

6月29日。プレドニゾロン5mg。

右足の付け根が痛くて憂鬱。病気や治療に慣れてきたとはいえ、体力ないし忘れぽいし、自分じゃないみたいで悲しいし悔しい。

7月23日。夕方、疲労感、関節痛、筋肉痛、無気力感、脂汗…。空ケース入れを確認してステロイドとガスターの飲み間違いに気づく。気づいてすぐ服用、一時間位で復調。

ステロイドは副腎皮質ホルモンとも呼ばれ、体内で分泌されるホルモンのひとつで、炎症を抑え免疫を抑制する働きがあります。それを人工的に作ったのがステロイド剤。ステロイド剤を長期服用すると、副腎機能が低下して自分の体でステロイドが作れなくなります。なので自己判断で服用を中止したりすると、病気の悪化や上記のような不調をきたします。投薬開始後に動けなくなったくらい強い薬なので取り扱い注意だとは思っていましたが、医師が検査や問診結果で、投薬量を調整している理由もよく分かりました。

8月4日。左太腿のこむら返り、激痛。名乗りのあった経験者に体験談を聞いたところ”瞬間倒れこみ運動部の人たちに強制的にマッサージされ回復”だったそうです。実は一ヶ月程前にも、生まれて初めての太腿のこむら返りしていて、気絶&吐きそうな位痛かった。

8月18日。プレドニゾロン5mgを一日置き。いよいよステロイドを切る行程。嬉しくもあるが、一度飲み忘れた時、酷いダルさに見舞われたので、脱ステロイドの影響が怖くもある。

8月19日。免疫抑制治療で免疫を抑えているせいもあって帯状疱疹発症。右肩のピリピリした感じが、1日経ったら骨が軋みズキズした刺すような耐えられない痛みに。町の皮膚科でファムビル錠250mg、メチコバール錠500μg0.5mg、グリコチロン錠、ロキソニン錠、バラマイシン軟膏を処方される。安静を言い渡され、これまで以上に静かにしないといけないことに愕然とする。帯状疱疹は9月いっぱいで完治。

10月5日。プレドニゾロン0mg。ガスターD20mg、フォサマックを辞める。ネオーラルは75mgを維持、このまま再発がなければ半年後にネオーラルの減薬開始となる予定。体力筋力は衰え、外出時も休み休み息切れを伴う。少しづつ体力回復したい。

ステロイド離脱症状か?首肩のコリ、肩と腕の骨がチクっと痛い。緩い関節痛と頭痛と吐き気。倦怠感。

12月7日。プレドニゾロン0mg。ネオーラル75mg、フルメトロン点眼液0.1%を朝一回、検査用散瞳点眼剤ミドリンPを朝右目一回、夜両眼一回づつ。

やっと頭のもやがかった感じが晴れた。しかし、語呂は減ったし適切な言葉が浮かびにくい、読書や会話を増やして戻したく思う。あと動悸息切れ、呼吸困難が酷い。心臓あたりが痛いことがある。ステロイドの離脱症候群というのに当てはまりそう、今度の受診で聞いてみよう。

2016年2月、受診予定
| 16:48 | 原田病 | - | - |
■前駆症状/発症から発病まで■
はじまりは2014年7月頃、酷く目が霞むようになる。この頃は仕事柄、単に眼精疲労だと思っていました。しかし、8月末には光を痛く感じ、念のため町の眼科を受診したところ、「ぶどう膜炎」と診断されました。眼内の虹彩、毛様体、脈絡膜とその周辺で炎症を起こす病とのこと。この病気も知りませんでしたが、結膜炎みたいなものと思い、普通に処方箋を頂き帰宅しました。9月12日の再診で、一旦完治。

9月20日頃、もともと眩い光は苦手でしたが、蛍光灯や暗め設定のスマホ画面が眩しくて直視できなくなりました。視界の霞みもあり、すぐに再発したと気づきました。 

9月22日月曜日午前。さほど良い天気ではなかったと思う。雨戸の隙間から漏れるカーテン越しの光が眩しくて、不可解に思いつつ雨戸をガラッと開けると眼前がハレーションを起こしたように真っ白になり、同時に目の奥にズッキーンと殴られたような激痛。日陰に目をやっても刺さるように痛くて、目が開けられない。流石にこれは只事じゃない!と、即身支度をし、帽子サングラス日傘で防御しても眩しいので、目を半分瞑りながら眼科へ向かいました。眩しいのと霞み目でバスの掲示板も見れない有様でしたが、慣れているルート&Suica支払いだったのでなんとか移動できました。

病院で診察を受けると、やはり再発。しかし前回より激しい症状だと訴えたら、大学病院への紹介状を書くので検査を受けて欲しいと。私は霞み目で大学病院?何故?と思ったものの、必要な検査がここでは出来ないと言われ、紹介状を書いて貰ったその足で杏林大学病院へ行きました。

食事もせず昼には到着。早々に血液、心電図、眼底三次元画像解析(OCT)検査、蛍光眼底造影検査、ツベルクリン、視力、眼圧、網膜撮影等々次々に検査されました。もし医師の予想した通りの病気なら早く治療を開始した方が良い、その為の治療に耐えられる体かどうかというのも合わせて調べていると聞いて、耐えられるかどうかって何?目だけの病気じゃないの?と、理由がわからないまま検査を受けまくるも、髄液検査だけは必要な安静の時間を入れると完全に夜遅くになってしまうため、後日へ持ち越しか入院と言われ頭が一杯になり軽くパニック。

…いやいやいや、ちょっと待って、私は目薬貰って帰るつもりだったのですよ!?それが脳神経外科のお世話になるなんて一体何事!?と、思いもよらない展開に、仕事の連絡もあるし日を改める方でお願いしました。そして医師から99%「原田病」でしょう、と告げられました。

初めて耳にする病名だし、医師に説明されてもよく分かりません。珍しい免疫疾患で、視神経でも炎症を起こしていて、そのせいで視野が霞んでいるとのこと。私は、不調は霞み目だけで、後は健康だったはずの自分に、何が起きたのか状況を全く飲み込めず。

目まぐるしい検査と謎の病気に呆然とした最後、右目の虹彩と水晶体の一部に癒着が見られるということで、ステロイドの結膜下注射…白目に注射…いくら点眼の麻酔薬でさほど痛くないとはいえ、瞼を器具で固定され拷問みたいでした。暗くなった帰路につく頃、ようやく一連の検査のために点眼された瞳孔を開く散瞳剤で文字がぼやけて読めなかったけど、不慮の事故に関する任意同意書に5枚ほどサインしたりもしていることを思い出し、大変な病気かもしれない不安がじわじわと実感として襲ってきました。 

9月24日。時間切れ&休日をはさみ、持ち越された初髄液検査。痛いのに弱い私はもちろん注射も苦手。経験者らに散々痛いと聞いていたので、医師に泣きを入れたおかげか施術者が上手だったのか、思ったより痛くありませんでした。一回目の麻酔注射がチクっとした程度。ベッドに横になり麻酔を二段階で打ち、髄液を抜かれました。自然に検査に必要な量になるまで針を刺したまま、その間5〜10分くらいだったでしょうか。検査結果は髄液を抜いた後に、病院のベッドで一時間ほど安静にしている間にわかるとのこと。そして呼ばれた診察室で、正式に「原田病」であると告げられました。病気の説明を受け治療法を聞くも、とても全部は理解できませんでした。それでも、自分でも急いで治療を開始した方が良いように思ったのと、全身検査の結果、投薬に体が耐えられそうとのことで、この病気の一般的な治療法であるステロイド(プレドニゾロン)での免疫抑制治療を開始する事にしました。薬の副作用や合併症の事も教えてもらいましたが、あまりにも副作用が多すぎて把握も回避もできないように思えました。とにかく視機能を守ることが最優先と医師と話し、多少の無理はOKです、と言いました。そしてまた結膜下注射。視力は裸眼1.2あり安心するも、右目の水晶体と虹彩の一部癒着は改善せず落ち込む。 

人によっては、発病前に風邪に似た症状や、耳鳴り、めまい、視界の歪みなどがあるそうですが、私は霞み目と充血くらいしか自覚がありませんでした。これまで大病も入院もしたことがなく、風邪すらそうそうならず、区や市の毎年の健康診断でも無問題。身内にも同じ病の者もアレルギーの者もおらず、こんな謎の病に自分がかかるなんて、まさに青天の霹靂。事故にあったような気持ちでした。
| 16:46 | 原田病 | - | - |
■ご報告■
ブログ再開にあたり、一年以上休止していた理由をお伝えしたく思います。

これまで病気の話などするつもりはありませんでしたが、友人らに症例のひとつとして経緯を書いた方が良いと促されたこともあり、自分に起きたことを書き残すことにしました。

2014年9月末、20万人に一人が発症するという、自己免疫疾患「原田病」を発病致しました。私自身はじめて耳にした病名でした。おまけに、患者によって病状の現れ方が異なったり、難治性ともいわれますが、ステロイドで劇的に症状が緩和されるので、難病指定もされておらず一般的にもあまり知られていません。そのせいもあってか、医師でさえこの病気を知らなかったり、それゆえ診断が遅れる場合もあるとか。そこで、同じような症状、同じ病で、このブログに辿り着かれた患者さんたちが、少しでも不安や心細さが楽になれば、それで良いかなと思いました。

発病後、私は困惑と不安、心細さでいっぱいでいた。この記事はあくまで、私はこうだったよ、という体験談です。ご一読後に何かの気付きがあったら、掛かり付けのお医者様にご相談なさってください。皆様のご快癒を心よりお祈り致しております。

「原田病」は視野にも影響があり、曲がりなりにも絵の創作を生業とする身として、この未知の病はとてつもない恐怖でした。未だ完治には到っていませんが、症状も落ち着いてきました。幸い視力は現在両眼とも1.2を維持しており、描くことは出来ています。


■病気のこと
病名「フォークト・小柳・原田病/通称:原田病」。 
自分のメラニン色素に免疫反応する自己免疫疾患。有色人種に多く発症。メラニン色素のあるところ、内耳、髪、目、髄膜などあらゆるところで炎症を起こすため、視力低下、網膜剥離、白斑、白髪、目眩、頭痛、耳鳴り、難聴、髄膜炎など病気の発現は全身に及ぶ。発病には遺伝的要因やウィルスとの関連、ストレスとの指摘も言われるが、現時点では原因不明。

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| 16:43 | 原田病 | - | - |